不登校なう メッセージ
ついに、フリースクールの子ども達の手による不登校をテーマにした劇映画が完成しました。
東京シューレ四半世紀の歩みの中で、はじめてのことです。
もちろん、映画作品に興味のある子ども達は、その折々に自らの関心に従って、小品をいろいろに作って楽しんできましたが、今回は、本格的に取り組み、不登校を真正面にすえて、描いた作品です。
題して「不登校なう-居場所を求める私たち」です。
子どもによる映画製作が可能になったひとつの流れとして、09年から東京シューレで取り組み、全国子ども交流合宿で採択された「不登校の権利宣言」づくりの経験が、背後で力を与え、視点を整理させた気がしてなりません。
権利宣言づくりにかかわった子と、映画づくりにかかわった子は2、3名を除いて重なってはいませんが、自分たちが経験したことを出しあい、どうまとめていこうか、という混沌に立ちむかった時、水先案内人のような感じになったのだろうと感じます。
実際、もっと不登校やフリースクールのことを分かってほしい、といっても、20人いれば20通りの経緯があり、どう取捨選択し、どう構成したらいいか難しい。
しかも時間を30分程度の作品にしようということになり、その制約の中で、言いたいこと、感じたこと、考えたことを伝えるには、体験を整理する必要がありました。
映画づくりに集まった子は、何回もの話し合いの末、不登校の原因を大胆に整理して、「学校のあり方」「いじめ」「わからない」の3本にし、不登校になってからどんなことがあるかについては、それぞれの流れの中にいれ、最後に3本に登場する主人公は、フリースクールで出会うという流れに落ち着きました。
そして、まず3つのグループに分かれ、台本の製作から絵コンテ、撮影、編集まで、そのグループで行い、映画製作委員会に報告・検討しては次へ進むというやり方で、ほぽ3つが見えてきてから、第4場面が作られました。
最後にタイトルを時間をかけて考えた時、メインタイトル「不登校なう」が決まったあと、子どもの多くが、これにサブタイトル「居場所をもとめる私たち」とつけたい、と言いました。
この「居場所」の意味は、まずフリースクールやフリースペースを指してますが、もう少し深い意味があります。
学校が居場所でなく、家庭もしばらくは居場所でなかった、その苦しい経験から、作品全体を通して訴えているのです。
ぜひ多くの皆さんにご覧いただいて、子どもたちが真剣に練りに練ったメッセージを感じ、考えていただけければと思います。
(奥地圭子)
不登校なう 各作品の紹介
第1話 「あずさの場合」
あずさは中学生。自分の行き先を決めるサイコロを手放せない。
授業、給食、放課後と、くるくる進む学校の毎日。あずさの心に、一筋の疑問が吹き抜ける。「何か違う」
クラスメイトたちは何の疑問もなく毎日を過ごしているように見える。優等生、お笑い、イマドキ、それぞれの役割を引き受けながら。「私だけが何でもない」
学校に疲れたあずさは「一回休む」。休んでいる間、時間がゆっくり進む。そんなあずさに、お父さんはある提案をする。サイコロを抱えたあずさが向かった先は・・・?
(監督 島夢美)
初めての映画製作。
学校の中で、時間に追われているような焦る気持ちや自分が自分で居られなくなる思い。
「何か違う、何でだろう」と感じていたころの自分を思い返しながら、話し合いを重ねてきました。
始めは人生をスゴロクに例える物語にしたいと思っていたけど、文字を書いたサイコロに変更して、疑問やいろんな思いを抱えていることが伝わるように何度も台詞や表現の仕方を書き直していきました。
つくっていく過程で、自分自身も改めて自分の経験に向き合ったり考えたりする時間でした。
自分のペースで進んでいける場所があることや、その場所は自分で作っていけるんだと感じていただけたら嬉しいです。
第2話 「かなの場合」
また、いじめで中学生が自殺した。朝ご飯を食べているときに流れたニュース。かなの笑顔が少し曇る。
かなに学校の記憶が蘇る。冗談と言うにはあまりにもひどい同級生のいたずら、ものがなくなる、シカト、机の上の菊の花。「何でこんなことするの?」「わたし何かしたかな?」「いつまで続くの?」「やめて!」かなの心の叫びは虚空に消えていく。先生もわかってくれない。ひとりぼっち。
・・・あのまま学校に行ったら、私どうなっていたんだろう。かなの叫びが受け止められるとき、新しい道が見えてきた。
(監督:松本萌)
かなは、いじめが理由で学枚に行かなくなります。
いじめのシーンがかなり凄いものになっていてシナリオ、映像にするまで色々考えて、作ってる最中辛くなりました。
作っでいくなかで、なにを色んな人に伝えたいか、それを考えながら作りました。
よく、テレビドラマでいじめが内容に入ってるものがありますが、いじめられてるシーンばかりで、主人公の気持ちなどがないなって思い、主人公の気持ちを大きく入れました。
ほかには、親との関係、先生とのやりとり、わかってもらえない辛さなど約7分に収めました。かなり濃い内容になったと思います。
色々な考えや思いを感じてもらえたら嬉しいです。
第3話 「しげちゃんの場合」
「今日も学校行かないの!?」朝、カーテンを閉め切った部屋に響き渡る母親の声。
「オレだってどうして行けなくなったか、わかんねぇんだよ!!」しげちゃんは、夜通しやっていたパソコンを閉じ、布団にもぐり込んで一人つぶやく。
理由はないけど、今日も明日もあさっても、学校に行けそうにない。
・・・そんなしげちゃんの部屋に、突然不思議な少女が現れる。「私、人間じゃないんだ」。女弧とのちょっとおかしなコミュニケーションを経て、しげちゃんが選んだ選択は・・・?
(監督 渡邉昌樹)
最初は、軽い気持ちで映像実行委員会に関わり始めたのですが、いつのまにか監督になっていて自分でもびっくりしています。
映像制作自体初めての事だったのに、なんで俺?という感じでした。
「しげちゃんの場合」のテーマは「不登校になった理由が分からない」でした。
ただでさえ、テーマが曖昧で表現するのが難しくてとても大変でした。ですが、みんなで話し合って形にする事ができました。
家のシーンを我が家で撮ったのですが、飼っている犬が、人がたくさん来て喜んで吠えてしまうので、犬係という犬をなだめる係を作ったりもしました。
初めてづくしの映画制作でしたが、色々なことを知ることができましたし、とてもいい経験になりました。
第4話 「そして・・・」
主人公は、はじめてフリースクールを見学に行くあなた。名前は明石由(あかし・ゆう)。お母さんに連れられて、とある小さなビルに入り、笑顔のスタッフに迎えられ、フレンドリーなフリースクールっ子に囲まれる。ギター、トランプ、何かの講座。「ヨ!」「はじめまして!」「こんにちは」。とても自分と同じ不登校と思えない。
そこに、1~3話のかなが、あずさが、しげちゃんがいる。
「明日も来る? 来たいときに来てね」
学校で見たことがなかった仲間の笑顔に、あなたの心の緊張が少しずつ溶け始める。
不登校なう、最終章を飾るのはあなた!?
(監督 ケリー・ブランドン)
皆様こんにちは。
映画の第四話は、全ての物語の完結を新たな主人公の目線で描いたものです。フリースクールの見学初日と言う設定で。
一番注目して欲しい所は、皆の会話の内容や色々あるんですけど。
一つこの映画の特徴を言うと、主人公の目線で映画を撮っています。それをする事によって、本当に自分がフリースクールの初日の見学しにきた気持ちになれると思います。
だから映画として見る事と、乗り物としての感覚を持ちながら、楽しくご覧になってください。ありがとうございました。
不登校なう メッセージ
data
- 日本
- 2011年
- カラー
- HD
- 31分
- 日本語
credits
(各作品の出演・スタッフは少々お待ちください。)
機材協力:株式会社創造集団440Hz
制作指導:石本恵美(株式会社創造集団440Hz)
助成:ボーイング社
制作:東京シューレ25周年記念映画部会
(奥地圭子、朝倉景樹、松島裕之、安美留久見子、倉原香苗、力石みのり)